2008/12/10

ピョートル前夜のロシア

松木栄三(編訳)『ピョートル前夜のロシア —亡命ロシア外交官コトシーヒンの手記—』彩流社、2003年〔Pennington, A. E., Grigorij Kotošixin, O Rossii v carstvovanie Alekseja Mixajloviča: Text and Commentary. Oxford, 1980〕

本書は、17世紀中葉のロシア人外交官グリゴリイ・カルポヴィチ・コトシーヒン(1630頃〜1667)が書き残した記録『アレクセイ・ミハイロヴィチ帝治下のロシアについて』の翻訳。この記録は、同時代のロシアに関する国家や社会についての豊富な情報を提供するもので、当時のロシアを研究する上で不可欠な史料とされている。邦題が『ピョートル前夜のロシア』となっているように、ピョートル大帝によって曲がりなりにも多少とも西欧化される以前のロシアの姿を知ることができる。

この著作が重要な史料となっているのは、記述の内容の詳細さはもちろんこと、成立事情も関係している。コトシーヒンは中堅官僚としてロマノフ朝(1613〜1917)第二代皇帝アレクセイ(位1645〜76)の治世に使節官署(外務省みたいなもの)に勤めていた。ところが、機密情報をスウェーデンに流していたことから、1664年に祖国を出奔し、ポーランドやプロイセンなどを経て、1665年にスウェーデンに亡命している。そして1666年にスウェーデン政府の求めに応じて、ロシアの国家や社会などを紹介するために書いたのが本書ということになる。つまり外国人向けに祖国の事情を伝えるものだった。

外部の人間が一時的に滞在して見聞したことを記した記録には、現地の人間では気がつかないことが書かれているという長所もあるが、事実誤認がしばしばみられるという欠点もある。では、現地の人間が記した記録はどうかというと、彼らにとって当たり前の事をわざわざ書き残すまねはしないことが多い。そのため、後代の人々が、まさにその「当たり前の事」を知りたいと思っても、史料には残されておらず、知りようがないという状況になってしまう。

つまり、本書は祖国の事情に通じた人物が、「当たり前の事」を知らない外国人に伝えているもので、普通では知りえない事も知る事ができるという点が大きな長所。以下に原著の簡単な目次を挙げておく(本書9〜25ページの「原著の目次」より)。

  • 第一章 ツァーリ、后、皇子、皇女について
  • 第二章 ツァーリの官位保有者およびすべての仕官者について
  • 第三章 称号について。ツァーリはどの外国君主にどのように名乗って国書を送るか
  • 第四章 モスクワ国家の大使、公使、急使について。どのような官位や格式のものが大使、公使、急使として近隣諸国に派遣されるか。また外交会議に派遣される大使について
  • 第五章 外国の大使、公使、急使について。それぞれをいかなる格式で遇するか
  • 第六章 ツァーリの皇室諸寮。財務、酒精、食糧、パン、穀物および主馬の諸寮について
  • 第七章 諸官署について。誰が官署を管轄するか。それぞれの官署が所管しているのはどのような業務とどのような人々か。またその官署の貨幣による収入と支出の全ての項目について
  • 第八章 モスクワの支配下にある諸帝国、国、地方、都市の統治について。ならびに諸都市の総督について
  • 第九章 軍事召集について
  • 第十章 商人について
  • 第十一章 ツァーリ、高位聖職者、修道院、相続地領主ならびに知行地領主の農民について
  • 第十二章 ツァーリの交易について
  • 第十三章 貴族、側近、その他の官位保有者たちの生活について

目次から予想がつくように、記述が特定の分野にかたよっているという欠点もなくはない。外交官というコトシーヒンのキャリアからすれば当然のことながら、外交関係の記述に最も多くのページが割かれ、宮廷や貴族の生活・儀式・慣習、官僚や官庁のしくみなど役人生活で彼が知り得た情報が大半を占めている。軍事や商業に関する記述は少ないし、農民といった庶民の日常生活や風俗が生き生きと描かれているという期待は残念ながら裏切られることになる。

そういった欠点というか、バランスの悪さはあるが、それでも重要な史料であることには変わりはない。それにロシア史に限らず、ヨーロッパ史の史料が翻訳され、しかも一般に読める機会はそれほど多くはないだろう。近代以前のロシアというマイナーな分野であるのに、専門家でなければ目にすることがないような史料を日本語で読めるのは、喜ばしい限り。

2 コメント:

mschuji さんのコメント...

おおお!ピョートル前夜ですか~いや~なかなか興味深い内容ですね~まいどご紹介ありがとうございます!
にしても、こうした史料の翻訳出版っていいですよね~研究書の訳書を出される方よりも、個人的にはいい、というか研究者の方として素敵な感じがしますね~偏見ですかね。
期待しております。
では。

Raven さんのコメント...

いつもコメントありがとうございます。

> こうした史料の翻訳出版っていいですよね~研究書の訳書を出される方よりも、個人的にはいい、というか研究者の方として素敵な感じがしますね

確かに、研究書よりも史料を翻訳する方が、より学識が要求されるかもしれませんね。とくに古い時代のものであれば。

でも、研究者にとってはやっぱり論文第一で、翻訳はやや格が下、といったところなんでしょうかね。

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